記事全般的に共感。
かつてパソコン通信時代のメールは、相手がいつ読むかもわからない、本当の意味の「電子メール」であった。
したがって早急に用件が伝わることは期待しなかったし、さりとて電話するほどでもないという程度の用件を伝えるには、便利なものであった。
インターネットの黎明期などは、届くかどうかもよくわからんが、とにかくみんなでがんばってみる、ぐらいの伝達能力にまで退化した。
そもそもメールとは、それぐらいのものであったのだ。
パソコン通信やら草の根 BBS やら使ってた世代だから,これはよく分かる。
今でこそ普通に「メール」と呼ぶが,当時は The Internet 上のメールはきちんと「E メール」と呼んで区別していた。
自分のところのメールサーバから相手のメールサーバに直接 SMTP で送信することはあまりなく,基本的に複数のメールサーバを経由しながら流れていくし,その経路の途中にはダイヤルアップの UUCP 接続もあったりしたので,到着するまでに時間がかかるのが当たり前だった。
おそらく中高生のケータイメール合戦がなかなか終われないのは、終わらせ方がわからないという事もあるだろう。
しかも文章のみの限られたコミュニケーションは、それだけ面白くもあるが、時間もかかるし、誤解も生みやすい。
誤解を解くにも、直接通話をすれば1分で終わる話が、メールであれば1時間はかかる。
これは社会人でも同じじゃないかと。
少なくとも私の場合は,端的に短いメールを書く人とのやりとり,もしくは分かりやすく話を終わらせてくれる人とのやりとりでない限り,メールラリーがだらだら続いてしまう。
気心の知れた友人とのやりとりはこれに当てはまらないかもだけど。
ま,世代によってケータイメールのとらえ方は全然違うんだろうな。
年賀状を送らず年賀メールで済ませてしまう私は,若い世代の感覚に近いほうだと信じたい。
……年賀状を送らないのも「ケータイメールが奪ういくつかの大切なこと」のひとつ?
文福?
今年も年末に呑みましょう。
あの辺で呑みましょう。